10月30日(土)
「人生はQ&A」
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今日は、久しぶりに高校時代の友人に会いました。
外国に住んでいたのですが、最近こちらに住み始めたんです。
去年の9月以来だから、かれこれ1年経つのか。
早いなあ。
このままではあっという間に歳取っちゃいますね。

その子は相変わらずな素敵ちゃんでした。
お昼は新宿で「とんかつお茶漬け」なるものを食べ、
ビックカメラにプリンターを買いに行き、
喫茶店でケーキと紅茶をいただきました。

久々ということで、いろんな話に花が咲いたのですが、
その中で特に印象に残った会話をひとつ。

外国でのお話。
「身体障害者の人は、何も悪いことをしていないのに
なぜ生まれながらにそんな不幸を背負っているの?」
カトリックの神父さんは、この質問に困っていたそうです。

確かに。
「何も悪いことをしていない」んです。
すべては因果応報と言うけれど、
そんなにひどい仕打ちをされるほど
悪いことをしたとは思えない。
そうなると・・・前世のせい???
でも、仏教思想だよね、前世の発想って。
カトリックの神父さんも、困るはずです。

僕ももちろん、意見に詰まりました。
「自分がその状況ならそうは思えないだろう」という前提のもと、
苦し紛れにこう答えました。

人は生まれながらにして不平等。
大なり小なり、みんなそれぞれ違う。
「目が見えない人」は、「目が見える人」と比べるから、
それよりも「不幸」ということになるんだ。
「目が見えない、絶対的な存在」として
捉えたならそれはどうなのだろう?
犬は言葉が話せない。
人は言葉が話せる。
人と犬を比べるから、
「言葉が話せない生き物」という部分が
クローズアップされるわけで。
比べなければ「不幸」ということにならないんじゃない???

と、そんなことを言いました。
その時は、「我ながらうまくまとまった意見だ」
と思ったのですが、
よくよく考えると、
「同じフィールドで生活するものとして不公平なんだ」
という致命的な欠点にたどり着いてしまいました。

ふむむ。
結局、「人生、運不運が一番大きいよ」
という結論に落ち着いてしまいましたが、
なかなか難しい問題でした。

ホント、昔っからこういう話ばっかりしています、僕たち。
普通なら、ケーキ食べながらする話じゃないよね(笑)
でもついついこんなことばっかり語り合っちゃうんです。
場所も時代も変わったけれど、
あの頃と何も変わっていないような気がするなあ。
ずっといい仲間でいたいものです(^−^)

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