10月28日(木)
「僕が一番欲しかったもの」
「無償であげたもので返ってきた笑顔が一番嬉しい。」
「僕が一番欲しかったもの」で
こんな事が歌われていますが、
それが最近、何となく分かるようになってきた気がします。
なんだかんだ言って、常に見返りを求めていたんです。
「優しい」と言われたりもしましたが、
実はそんなんじゃなかった。
それは何かが欲しくて与えていたものだったり、
「嫌われるのが怖い」だけだったり。
でも、最近になってようやく、
そういった情けない気持ちがなくなってきた気がします。
ホントに、相手が何か喜んでくれるだけで嬉しい、
と思える瞬間が多いんです。
自分ができる範囲の事を相手に与えてあげる。
あくまで、自分の身の丈にあったことを。
無理すると、見返りを求めちゃうから。
「こんなにやってあげたのに」
っていう気持ちが芽生えちゃうからね。
欲しいものをいくら手に入れても、
「形あるものを手に入れたところで、
その幸せは長く続かない」ということが
うすうす分かってきたからのような気がします。
「欲しかったもの」が手にはいった時、
それはそれは、とても嬉しいです。
僕なんかの場合、割とマニアックですから(笑)、
食玩やガチャガチャなんかで
欲しかったものが出たときなんかそんな感じです。
でも、その時いくら嬉しくて幸せで
それを眺めていたとしても、
しばらく置いておくと飽きちゃうんですよね。
そして、目に止まることすらなくなってしまう。
自分がしたことで相手が喜んでくれる。
これは、机の上に置いておくこともできないし、
大人買いすることもできないものです。
「自分という小さな存在が人を幸せにできた誇り」が
自分の中に満たされていくならば、
それは「蓄積されていくもの」なので、
減ったりなくなったりしないと思います。
わざわざじょうろに水を汲みに行って水をあげると、
見返りを求めてしまいますし、
それに応えてもらえなかったときのガッカリも大きいです。
今じょうろの中に水が入っている分ならば、
そっとまいてあげることができる。
それできれいな花が咲くのなら、こんなに素敵な事はないよね。