2月1日(火)
「本物の意味」
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昨日、「本当の優しさとは?」
みたいな話を書こうと思って
ず〜っとパソコンの前に座っていたのですが、
結局全くまとまらず、
全然違う話にしてしまいました。

「優しさ」と「弱さ」は表裏一体。
自分を嫌われないようにするための優しさ。
また、自分の弱さを隠す時に
これは「優しさなんだ」と
思ってしまうこともあります。
ニセモノではなく、本物の「優しさ」を持ちたい。

そんなことを書こうと思ったとき、
「?」となったのです。

「本物って何?」という疑問。
ニセモノの優しさでも、
人の気持ちを安心させたりすることができます。
例えば、自分が嫌われたくないがためにした行動で、
相手がものすごく救われたとします。
それが「本物の優しさ」ではなくても、
それはそれで相手にとっては
れっきとした「優しさ」なんです。

この前、
「僕と彼女の幸せを 君に分けたとしても
やっぱり幸せのかけらは ただの幸せのようなもの」
(槇原敬之「The end of the world」)
という歌詞に対して
「女の子は『幸せのようなもの』でも十分嬉しいの。」
と言っていた子がいたのですが、
なるほど、そうなのかもしれないと思いました。

安くてたくさん食べられる事のほうが
高くて少ない本物の料理よりも満足することってありますよね。
あまり「本物、本物」と目くじらを立てずに
「相手が喜んでくれたらそれでいいじゃない」
くらいのスタンスをとっていくのが
ちょうどいいのかもしれないですね。
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