10月12日(火)
「感覚の距離」
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「説明しても分からない人には、説明しないのが一番。」
というお話を、掲示板の中でいただいた事があるのですが。
本当に、それがよく分かります。

うーむ。そんなつもりは全くないのに、
どうやらまた1人、敵を作ってしまったようです。
ちょっと前まで仲良く話してたのになあ。

ただ、今回の場合は絶対に自分は間違っていない自信があり、
相手の感覚が間違っていると言い切れる。
まあきっとそれはお互いにそう思っているから
歩み寄ろうともしないのだろうけれど。

「最近よく突っかかってくるよね。うっとうしい。」

別にそんな嫌な話をしたつもりもなかったんです。
そのとき僕が言った事はただの冗談のつもりでした。
ていうか、ただの冗談でした。
それに対する答えがこれ。

人って、全く別の感覚に突然出くわすと
言葉が出ないもので。何も言えませんでした。

なぜこんな事が平然と言えるのだろうか?
まず、そこの感覚からして分からない。
その言葉がどんな意味を持つのか、
どんな影響を与えるのか。
人が言葉を発する際に
最も気をつけねばならないであろう部分が欠けている。

「突っかかってくる」という部分に関しては、
「確かに。」と思える言い争いはしたことがあります。だいぶ前に。
その時のことが頭に残っていたっぽいのは
だいたい想像がつきます。

その時の口論では、「絶対におかしい」と思える相手の行動で、
僕が嫌な思いをした。
その事を相手に伝えたことから始まったんです。

ただ、やっぱり相手には相手の正義があるようで。
結局話は平行線のままでした。
そりゃあ、そうです。お互い譲る気が全くないんですもん。
話が終わった後、とても虚しい気分になりました。
あまりに、「何も残らなかった」から。
僕が嫌な思いをしていたことを伝えて
「その行動は良くない」という話をした。
でも、相手にはそれが理解できなかった。
同じように、僕にも相手の気持ちが分からなかった。

普段は「僕も多少なりとも悪かった」と思う僕だけれども、
その時の僕の話は絶対に間違っていない自信はある。
ただ、間違ったことをしたとすればやはり、
「相手がわからないような話を無理やりしてしまった」
という部分にある気がします。

今まではその相手の「自分と違う感覚」に出くわした時は、
自分を偽ってまで「あー、そうかもね」と
相手が嫌な思いをしないような対応をしてきたけれど。
偽らない、自分の本音を語った途端、
「うっとうしい」となったのならば、
もともとそれくらい距離の離れた相手だったのでしょう。
冒頭で「仲良く話してたのに」というのも、
割と自分が無理してた部分もあったのかもしれないし。
もう突っかかるどころか、
話をしたくもなくなってしまいました。
話すと、また嫌な思いするだけだから。
嫌な思いをしないためには、
自分を偽らなきゃいけないから。

にしても最近、
こういう行き詰まった関係になってしまうことが多いです。
「絶対自分が間違っていない」という感覚が
そういった空気を生み出してしまうのかな。
戦争やなんかもそこから始まるわけだし。

でも、どうしても「受け入れられない感覚」っていうのは
あるんだよなあ。

10時間乗る飛行機の座席で、
「ちょっと倒していいですか?」って聞いて
「嫌です」なんて言える感覚、僕には到底理解できないもの。

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