9月3日(金)
「自分の基準、他人の基準」
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僕はよく人から、「考えすぎる」といわれます。
自分で言うのもなんなんですが、
外れてはいないと思います。

今日、会社でホントにホントにささいなひとことなんですけど、

とてもイヤな気分になりました。

具体的な状況を客観的に話せる自信がないので
細かいところは省略しますが、
とにかく、「なんでそんなことが平気で言えるんだろう?」
と思うようなことをサラっと言われたんですね。

そうした状況に出会うたびに思うんです。

僕だったら絶対にそんなこと言わないのに、
僕だったらそれくらいの配慮はするのに、
「なぜこの人はこんな事が言えるのだろう」、って。

「僕だったら」というものの見方は、
あくまで自分の基準でしかない。
それは頭では分かっているんです。
「人それぞれだから」といってしまえばそれまでだし。

でも、自分の基準で「これくらいのこと」と思えることを
相手に求めるのは図々しいのだろうか?

ものの良し悪しの基準は、みんな同じように見えて、
人によってけっこうズレがあったりする。
自分は「それくらいイイのに」と思うことでも、
相手は傷ついたり、嫌がってたりするもの。
最近、それが痛感させられることもあった。

僕は、「できるだけ人に不愉快な思いはさせないように」
というのを心がけているつもりです。
自分のせいで相手がイヤな思いするのは、耐えられない。
でも、その気持ちが強いぶん、ささいなことでも
「なんでこんなひどい事するんだろう?」
「なんでこんな事が平気で言えるの?」
なんて思ってしまうことも多くなってしまって。

そういったケースに出くわすたびに、
「こんな人だったのか」と思って、
次から接するのが怖くなる。話せなくなる。
話すと、また思いもしない「ズレ」で
自分がイヤな思いをしてしまいそうで。
きっとそれを相手に話したところで
根本的な価値観やものの基準が違うから、
おそらく平行線をたどるだろう。
それならば関わらない方がいいじゃないか。
そうすれば、同じような痛みを受けないで済むんじゃないか。
そんなふうに思ってしまうんです。

こんなことを繰り返していくうちに、
どんどん臆病になっている自分がいるんです。

いったい、どこがいけなくて、
これからどうしたらいいのか。
よくわからないんです。
これは「自分が優しくしてるんだから優しくされて当然」
という自分の傲慢なのだろうか。
「そんな人もいる」となかなか
かわす事ができない自分の弱さがいけないのだろうか。
「相手のような価値観」を認められない
自分の心の狭さが問題なのだろうか。

ここの日記ではいつも、何らかの結論を出せるよう
必死に考えてから書いているのですが、
この問題については、ちっとも糸口が見えてこなかったりします。

うーむ。

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