「あの時の自分は、なんでこんなことをしてたんだろう?」
そんなこと、よく思ったりしませんか?
テストでの成績が、史上最低。
なんでこうなる前に今まで勉強してなかったんだ?
なんで遊んでばかりいたんだ?
ダイエットするはずが、太ってしまった。
ああ、やっぱりあの時食べたケーキがいけなかったんだ。
なんであのとき、がまんできなかったのだろう?
僕たちはそれを「後悔」と呼びます。
ただ、この「後悔」というシロモノ。
結果で左右されてくる、実に危なっかしいものなんですよね。
テスト勉強してなくても
100点が取れてたら絶対に満足してたろうし、
ケーキを食べても体重が減ってたら
それでオッケーなはずです。
当たり前なんですけど、
結果が悪かったからこその「後悔」なんですよね。
確かに、勉強しなかった自分はいけないし、
ケーキの誘惑に負けた自分も悪い。
しかし。
「遊びたかった自分」、「食べたかった自分」というのも
本当の自分なわけで。
「その時の自分の気持ち」が「悪い結果」によって
否定されてしまうというのは
少し悲しい気がします。
「その時はそうしたかったんだ。」
そう思っていたことは確かなこと。
後々のひどい結果にそんな確かなことも
揺らいでしまいそうだけれど、
その時の気持ちを一度認めてやること。
それによって「後悔」なんてあやふやなものは
たちまちどこかに行ってしまうでしょう。
散々だった結果に否定しがちになっていた「昔の自分」。
そんな自分を認めてくれて、ありがとう。
素敵な言葉をもらった気がします。
過ぎたことを「よかった」と思えることの積み重ね。
最期に「いい人生だった」と言えるかどうかは、
そこにかかってるね。